無理に前向きになることの限界

  物心ついてから、親に「悲しい」とか「寂しかった」とかいうマイナスの感情は言ったことはありませんでした。

言うタイイミングもなかったし、
聞かれたこともありませんでした。

「そんな後ろ向きの発言をしたら、家においてもらえない!」

という恐怖を感じていました。

 

だから、自分の周りで起きる困ったことは自分で
解決し、解決できなければ、なかったこととして
胸にしまいました。

 

「悲しい」とか「寂しい」「苦しい」という
マイナスの感情は、感じなかったことにして、
ニコニコして毎日が楽しいことばかりのように振る舞って、
そうしているうちに自分もそう思うようになって
生活していました。

 

確かに、学校や職場では楽しいことが多かったし、

本当に悩んで困ることもなかった(と思って)生活できました。

 

でも、自分が子育てするようになり、
自分が封じ込めていたと思っていた
マイナスの感情を無視しながら生活していくことが
困難になっていきました。
当時は、母親との関係が影響してるという感覚しか分からず、
どうしたら改善するのか、見当もつきませんでした。

子供が荒れたりしたので、カウンセリングを受けたりしましたが、
そのカウンセラーは「あなたがもっと頑張りなさい」と言ったので、絶望感で行き詰まりました。
その時はなんとか、生き残る道を選ぶことができましたが・・


そこまで苦しかったのに、当時の写真を見ると
子供と一緒に楽しそうに笑っている自分がいるのです。

その写真を整理した時、自分の笑顔を見るたびに
直後に寝込みました。

しばらく寝てからでないと、もう一度自分の笑顔の写真を
見ることすらできないことに驚きました。


「苦し苦しいと思っていても仕方ないから、笑顔で過ごそう!」と
気力を振り絞って生きていた自分をどうしても思い出してしまって、苦しさが蘇るのです。

どんなにマイナスの感情でも、なかったことにはできない。

一度は、「ああ、私は今苦しいんだな」
「こんなこと言われて、悲しかったんだな」・・と
そういう事実はあったんだな。と受け止めないと、
誤魔化す量が増えすぎて溢れてしまうのかもしれません。

一度、「これは、こう」と認めて、
「うん、じゃあ、捨てようか!」と確認作業が必要だったのかと、やっと今になってわかりました。

本当は初めから自分の中では、ほとんどのことがわかっていて、
素直な気持ちを感じるように自分に許可が出せてさえいれば、
その感じたままに従って生きればいいだけだったと気づきました。

現実化が難しいことがあるなら、その問題を改善するにはどうしたらいいかを大人と相談すればいいだけですよね。

 

親の意向(ほぼ世間体)、学校周囲の期待等々、そういうものが絶対で、私がどうしたいか?という「私の気持ち」を聞かれたことも、尊重されたことも記憶にはありません。

 

無理に前向きに笑顔で頑張ってきて、それでも苦しいなら、
「まず、1回弱音や泣き言を吐き出さないと始まらないよ」という
メッセージなのかもしれません。

ノートに書き出したり、呟くだけでもいいから、体からまず出してください。
感情も溜めすぎると、自分を攻撃し出すのだと思います。