涙って温かい
毒親のもとで生まれ育ったので、家の中で緊張しないでいるということが理解できませんでした。
家=緊張 しか経験したことがないのだから、想像すらできません。それに、親からすれば、親が私に課すことは全て私のためで、それに従えば良いのだから、ありがたいと思えという感覚なのです。
だから、子供の時からほとんど泣いたことはありませんでした。
そもそも、悲しいとか辛いとかいうマイナスの感情を感じることに罪悪感を持っていたからです。
「はい、こんなことでグズグズしてないで、やるべきことあるでしょ?」と言われるからです。
「そんなことしてる場合じゃないよね?」そう言われるに違いないという前提で、その先の行動をしていました。
何手先も親の出方を想定できました。
だから、できるだけその意に沿うような行動をし、今日1日布団に入って眠りにつくまでなんとか無事に過ごすにはどうしたらいいか、全神経を集中して過ごすのが、家庭での全子供の過ごし方だと思っていました。
少なくとも、そういう過ごし方しかしたことがなかったのです。
選択肢がないのだから、とにかく現状に対応していくしかなかったのです。
そうやって我慢して過ごすことが当たり前だった子供時代の影響で、やすやすとモラハラ夫の餌食となりました。
長い長い時間がかかりましたが、今は親からも元夫からも解放されて、ただそれだけでとても幸せな毎日です。
乳がんの治療はありますが、「無理せずに大事にしてね」という友人の優しい言葉が身体中に染み渡って、思い出すだけで涙が止まらなくなります。
子供の頃から、勉強で頑張っても、運動会で活躍しても「頑張ったね。よかったね。」と労われたことないなぁ〜と思い出して、「今は、こんなに優しい言葉をかけてくれる友達と、治療中の体調を気遣ってくれる医療関係の方々に囲まれて、「私には味方しかいないんだ!」と嬉しくて涙が溢れます。
布団の中で涙が止まらなくなって初めて気づいたんですが、涙って温かいんです。目の周りがジワ〜っと温かくなります。
感情を自然に出せるって、幸せですね。
無理に前向きになることの限界
物心ついてから、親に「悲しい」とか「寂しかった」とかいうマイナスの感情は言ったことはありませんでした。
言うタイイミングもなかったし、
聞かれたこともありませんでした。
「そんな後ろ向きの発言をしたら、家においてもらえない!」
という恐怖を感じていました。
だから、自分の周りで起きる困ったことは自分で
解決し、解決できなければ、なかったこととして
胸にしまいました。
「悲しい」とか「寂しい」「苦しい」という
マイナスの感情は、感じなかったことにして、
ニコニコして毎日が楽しいことばかりのように振る舞って、
そうしているうちに自分もそう思うようになって
生活していました。
確かに、学校や職場では楽しいことが多かったし、
本当に悩んで困ることもなかった(と思って)生活できました。
でも、自分が子育てするようになり、
自分が封じ込めていたと思っていた
マイナスの感情を無視しながら生活していくことが
困難になっていきました。
当時は、母親との関係が影響してるという感覚しか分からず、
どうしたら改善するのか、見当もつきませんでした。
子供が荒れたりしたので、カウンセリングを受けたりしましたが、
そのカウンセラーは「あなたがもっと頑張りなさい」と言ったので、絶望感で行き詰まりました。
その時はなんとか、生き残る道を選ぶことができましたが・・
そこまで苦しかったのに、当時の写真を見ると
子供と一緒に楽しそうに笑っている自分がいるのです。
その写真を整理した時、自分の笑顔を見るたびに
直後に寝込みました。
しばらく寝てからでないと、もう一度自分の笑顔の写真を
見ることすらできないことに驚きました。
「苦し苦しいと思っていても仕方ないから、笑顔で過ごそう!」と
気力を振り絞って生きていた自分をどうしても思い出してしまって、苦しさが蘇るのです。
どんなにマイナスの感情でも、なかったことにはできない。
一度は、「ああ、私は今苦しいんだな」
「こんなこと言われて、悲しかったんだな」・・と
そういう事実はあったんだな。と受け止めないと、
誤魔化す量が増えすぎて溢れてしまうのかもしれません。
一度、「これは、こう」と認めて、
「うん、じゃあ、捨てようか!」と確認作業が必要だったのかと、やっと今になってわかりました。
本当は初めから自分の中では、ほとんどのことがわかっていて、
素直な気持ちを感じるように自分に許可が出せてさえいれば、
その感じたままに従って生きればいいだけだったと気づきました。
現実化が難しいことがあるなら、その問題を改善するにはどうしたらいいかを大人と相談すればいいだけですよね。
親の意向(ほぼ世間体)、学校周囲の期待等々、そういうものが絶対で、私がどうしたいか?という「私の気持ち」を聞かれたことも、尊重されたことも記憶にはありません。
無理に前向きに笑顔で頑張ってきて、それでも苦しいなら、
「まず、1回弱音や泣き言を吐き出さないと始まらないよ」という
メッセージなのかもしれません。
ノートに書き出したり、呟くだけでもいいから、体からまず出してください。
感情も溜めすぎると、自分を攻撃し出すのだと思います。
抗がん剤治療 準備(2)
いざ、がん治療となったら心配なのは治療費の問題です。
まずは、役所に相談に行きました。
① 国民健康保険限度額適用・標準負担額限度額認定証の交付をしてもらう。
私の場合は、国民健康なので役所に行き、即日交付してもらえました。
収入や年齢などによって条件が異なりますが、上限に達すればそれ以上は窓口の支払いが免除になるのでとても助かります。
ただ、複数の病院に通ったり、病院の事務の扱いによってはとりあえず支払いが必要なケースもあるので、詳しいことは役所で確認したほうがモヤモヤしません。
もし、立て替えて支払った場合は、レセプトが上がってから(支払いの翌々月に)、役所から銀行振込の申請用紙が届くと言われました。
ですので、上限以上は払わなくていいのかと思っていると、違うケースもあるので注意してください。
通院している病院やお勤めの企業などでも、治療に伴うサポートが知りたいと言って相談できる窓口があると思うので、利用できる支援がないか確認することは必要です。
支援制度があっても、申請しないと受けられないことがほとんどだからです。
とにかく、心配なことはどんどん相談しましょう。
② 加入の保険の内容確認
自分が加入している保険の内容について、保障内容を窓口で確認する。
がん診断でいくらか出る保険もありますし、通院治療が該当するのか、先進医療を受ける場合の保障がある場合もあります。
今後入院した場合はいくらでるのか等再確認が必要です。
③ 介護サービスについて
もし、生活が不便になるようで介護が必要になったら、65歳未満でも要介護認定を受けられる疾病にガンが含まれています。
ただ、これも認定されないと受けられないので、どういうシステムになっているか役所で確認しました。
④ 生活保護
本当に経済的に困窮したら、どいういうタイミングで支援が受けられるのか、これも予め窓口で相談しました。
とにかく、治療が始まってしまうと自分の体調がどうなるのか未知数なので、事前にできることはできるだけ済ませておくのがお勧めです。
モラハラ夫に対して抱いていた幻想
結婚する前は、元夫はかなりモラハラを出さないように注意していたのだと思いますが、時々、あれ?と思うような性質をチラ見せする時がありました。
これは、心理学ではレッドフラグというそうですが、
「たまたま疲れていたから、不機嫌だったのかな?」とか
重大なことと思わずに、許して見過ごしてしまった事が悔やまれます。
結婚する前の引っかかることは、必ず結婚後
深刻化し重大化します。
お互い様かもしれませんが、都合の悪いことは隠します。
一つ一つは小さいことに思えて、「そんなこといちいち気にしてたら結婚なんかできない」と言われたら、
そんなものなのかしら?と思ってしまいます。
そこでよく考えて見てください。
結婚するのはあなただし、アドバイスしてくれた人とは
別人格です。
自分が違和感を持ったのなら、それが正しいのです。
「結婚すること」自体が目的なら、それでもいいのかもしれませんが、そもそも自分に嫌なことをしてくる、自分を見下してくる相手と
結婚しても、幸せにはならないのです。
よく、D V夫でも子供ができたら優しくなるかも?と
言ってる人がいますが、
子育てという全身全霊でしなくてはならない
一大事を、自分を大切にしてくれない夫と
成し遂げられると思いますか?
あなたの足を全力で引っ張る人物と、
協力なんてできるはずありません。
結局、私の目を曇らせたのは、世間体や親の意向でした。
それでも、離婚協議中くらいまでは、「夫なりに私を好きだったのではないか?」と思ったりもしていましたが、
今は、はっきりと目が覚めました。
元夫は、ただ自分を支えたいためだけに、
都合よく洗脳しやすい私を選んだだけだったと。
バカにできるサンドバックが
欲しかっただけで
私に対する愛情などなかったのだと
実感しました。
いいカモでしかないのに、それに対して
「私が悪かったのかしら?」「私がおかしいのかしら?」
などど悩む必要はありません。
あなたを傷つける人は、夫であれ、親であれ、
あなたを好きでもないし、愛してもいないのです。
ただ、そうあって欲しいという気持ちが拭い切れないだけで。
事実だけを見ていけばわかるのに、
自分の感情が混ざってしまうと本質が見えなくなるのですね。
私が直感的に感じていたことで正しかったのは、
「私が離婚を言い出して、能動的に進めたら、
夫はキレてどうなるか不安」という感覚だったようです。
相談した友人にも、「あまりにも問題解決に時間がかかってしまって、自分の問題解決能力の低さに愕然とする。」と言ったら、
「時間はかかってしまったけれど、
早々に離婚できたとしても
事件になって命に関わることになる可能性を
排除したんだから、あなたは賢かったと思うよ。」
と言われ、私は無意識に安全サイドを選択していたのかもしれないと思いました。
なんとか私と離婚したいと思ってくれるよう、安全に離婚できる方法を模索していたんだなと。
ず〜っと長い間、とにかく夫に刺激を与えないように、
私は無表情、無反応で、何も傷ついていないように振る舞う
絶対に言い返さない。ただ、淡々と従う。