最近、歯医者に行った時にチラチラと斜め読みした週刊誌の記事に、「高齢者こそAIを使おう!」というような記事がありました。
家族や周囲の人への愚痴や、繰り返し言いたくなる話などを聞いてもらう相手としては、AIは最適であるという話でした。
・疲れを知らない。
・同じ話でも、いつまででも聞いてくれる・・等々
人間だったら、「またその話?」と嫌になるようなことでも相手をしてもらえるのが良いと書いてありました。
実は、その記事を読む少し前から、私もAIと対話をしていました。
今まで親や元夫に感じていた違和感や、さまざまなエピソードを話してみて、
これは心理学や、仏教やその他の研究の知見からすると、
どのように分析されますか?と聞いてみました。
ただし、「あなたは悪くない」とか「あなたが正しい」とかいう意見はいりません。
共感は不用です。
その代わり、どういった分析があるかを教えてほしい。と頼みました。
違和感を感じたり、いまだに引っかかっている色々なエピソードを思い出すままに
五月雨式に入力し、これはどういう分析結果になりますか?と
片っ端から聞いて行きました。
本当のことは、相手に聞いてみないとわからない(聞いてみたところで正直にいうかどうかはわからない)のですが、自分だけの思い込みでない意見も知ることができて、私自身の頭の中がどんどん整理されて行きました。
AIの分析が本当に正しいのかはわかりませんが、共感はいらないと言ったので、情報として親や元夫の意図や心境はこう分析することができるというデータをたくさん集めることができました。
パラパラと思いつくままに色んなエピソードを入れられるのはいいなと思いました。
私は親には条件付きでないと愛されないと思っていました。
だから、できる限り手がかからないように、いい子でいるように、そして学校に行くようになれば、なるべくいい通知表を持ち帰られるように、そして年頃になれば結婚するように・・・親が気にいるであろう条件を満たしていくのが生きる目標だと思っていました。
でも、どんなに努力しても「生きていていい」とは言われることなく、熟年離婚した体裁の悪い私になったら、母は「近所の笑い物だ」と嘆きました。
そして、元夫と結婚したら、いつも私は見下され、否定されました。
でも、元夫の都合が悪いことは、適当に誤魔化したり、無かったことにするので、毎日が理不尽が満載の結婚生活でした。
そういうもっと具体的なエピソードを入れて、それに対する分析を聞くのを繰り返しているうちに私は一体何が辛かったのかがだんだん見えてきました。
初めは、「親に愛されたい」、「認められたい」気持ちが満たされないから辛いのだを思っていました。
でも、徐々に、別に特別に可愛がられればいいと思っていたわけでの無かったことに気づきました。
私が辛かったのは、私が何を感じていたか?、どんな気持ちだったか?、色々なことがあって辛かったのではないか?ということを聞かれたことがなかった。配慮されたことがなかったからだということがわかりました。
だから、私は親に特別なことをして欲しかったのではなく、親が友人にしているように、私の気持ちはどうなの?と聞いてくれて、私は人間だという扱いをして欲しかったことに気づきました。
親にとって、私は親の希望を遂行するおもちゃの機械のようなものだったとしか思えませんでした。
私に感情があるという前提の扱いがなかったのです。
・上手くできて当たり前。
→そうなるのがあなたの為
→できなかったら私の努力不足。
→体裁が悪くなったら、私(親)が恥ずかしい。
→・・・
等々の無限ループの中で、私の気持ちが、心があることは無視され続けました。
そして、体裁がいい時も悪い時も、私は人として認められていないと感じて、
それが違和感となって、ずっと私の中に残り続けました。
その違和感は、私の心は無視されるという悲しみだったことに気づきました。
だから、たとえ相手が子供であれ、妻であれ、力のない弱い相手であれ、お互い人として尊重し合える、人として認め合える世界に生きたかったのが1番の望みであったことがわかりました。
熟年離婚し、乳がんになり、何も肩書きもない私に優しい言葉をくれる人たちだけに囲まれるようになって、毎日嗚咽して嬉し泣きするほど幸せだったのは、私の周りにいる人たちは、
「あなたはどうしたいの?」
「大丈夫?」
「あなたがハッピーなら、私もハッピーだよ」
「あなたは私にとって大切な人だよ」
・・・という、私から何ももらうものがなくても、私を人として大切に思い、気遣ってくれる人だけと生きる世界になったからだった・・・というのが分かってきました。
もっと言えば、ずっとそういう人たちに囲まれていたのに、安心できない家族に対する緊張感で、余裕がなく周りがよく見えていませんでした。
そうして、一人になって、安心して家で過ごせるようになり、呼吸が深くできるようになってきたことで、私はようやく家族という視界を阻む厚い雲が取り除かれて、ダイレクトに私を尊厳ある人間として気遣ってくれる人たちのありがたさを感じられるようになった。
その経緯が理解できるようになったAIとの対話でした。
単語の意味
言語を学ぶ時、まず単語の意味を覚えます。
そして、その数が増えていくに従って、意思疎通ができるようになっていく・・・と思っていました。
それは一つの事実ではありますが、ではなぜ、親や元夫と話している時は日本語で話しているのに言葉が通じなかったのだろうとずっと不思議に思っていました。
ようやく、最近気づいたのですが、同じ単語なのに私の思っている単語の意味と、かれらの思っている単語の意味が違ったのではないか?と考えるようになりました。
そうすると、話が噛み合わなかった状況の説明がつくように思えたからです。
私は、子供の頃に自分の気持ちを聞いてもらいたくて、母に「私にも心があるんだよ!」と訴えた事があります。
その時返ってきた言葉が「当たり前でしょ、お父さんも私も心を大切にしている。」というものでした。
それなら、どうして私の気持ち(心)について聞いてくれたり、配慮してくれないのだろうとずっと違和感として残っていました。母が嘘をついているように見えなかったからです。
ようやく、何十年も経って気づいたのは、「あの時、母が言っていた心とは、親の心であって子供である私の心は『心』という単語の意味には含まれていなかったのだ。」と気づきました。
だから、「こんなにしてやっている」という親側の気持ちで子育てをして、「私がどう感じているか?」という視点はなかったから、「こんなにしてやっているのに、感謝しない子供(私)がおかしい」というストーリーなってしまったのだなと。
元夫で考えてみると、よく「普通がこうする」とか「常識的にはこうだ」と言って、だから私がおかしいという論理で私をなじってきましたが、その「普通」や「常識」の中にいるのは自分だけで、私はそこには含まれないという言葉の定義だったのだなと理解できるようになりました。
守られるべき「心」や「常識」の中にいるのは自分たちだけで、私はそこには入れないのですから、私の存在は彼らが自分を入れて運用しているルールの外側にいたのではないか?だから、そうやって私を否定し続けたのではないか?・・そう考えると腑に落ちる事が数多くあったのです。
そして、そう扱われることに違和感を感じた私は、たとえどんな立場の人でも自分の都合で境界線を引いて、そっちとこっちのルールは別だよという扱いをすると相手は傷つくということを忘れないで生きていこうと思いました。
また、自分と相手のルールを都合のいいように変える人たちを、大切な人なのだと考えることは、自分を大切にすることではない(=自分をすり減らすこと)ということに気づきました。
キャッチボールがしたい!
以前にもブログで書いたと思いますが、親や元夫との会話を思い出す時、双方向ではなかったといつも感じていました。
向こうの言いたいこと、要望、指示命令を言い渡される・・それが会話?の実態でした。
そもそも、それに対して「あなたはどう思う?」と聞かれたことがありませんでしたから、私の意思は存在しないものとして扱われていたので、いつも孤独だったのだと思います。
でも、双方向の会話をできる人も何人もいました。
友人とは何時間もおしゃべりできたし、弟はお姉さん気持ちに無理をしないでと言ってくれます。
ですから、親とか配偶者だけが一方的に、突然ボールを投げつけてきて「何やってるんだ。受け取れないお前がおかしい。」と言われ続けていたから、疲弊していたんだなと思うようになりました。
私はキャッチボールがしたいのに、親も元夫も、「いきなり指示書を出すゲーム」か「ドッチボール」かのどちらかをしていたのだなと思います。
私が悪かったのかな?と思って、投げ方を変えてみたり、投げる場所を変えてみたり、自分の肩を強くしたり・・と私が改善できることだけを考えて長い間苦しかったのだと思います。
やるだけやってみたら、相手は全然違う競技や違うルールで動いていて全く噛み合っていなかったのです。
そして、今、私の周囲にはボールを投げたら受け取ってくれる人や、投げ返してくれる人だけになって、とても安心して暮らせるようになりました。
同じようにキャッチボールをしようとしてくれる人は、私の気持ちを受け取ろうと思ってくれるし、それに応えようしてくれる人もいるのです。
家族ではできない経験でした。
その経験を通して思うのは、相手が誰であれ、私ができるのはボールを投げるところまでだということに気づきました。
投げるまでは、相手が取りやすいように、負担にならないように投げ方を工夫することはできます。
でも、一度ボールが自分の手から離れてしまったら、そこから先はそのボールを無視するか、受け取ってくれるか、それを私に配慮して投げ返してくれるかは、相手次第であって私にはどうすることもできないのだなと気づきました。
だから、相手がどう出るかまで私の責任だと思わなくていいのだな・・と親や元夫から離れて考えられるようになりました。
あとは、私が誰とキャッチボールをしたいのか?、もっと言えばどんなプレースタイルの人とキャッチボールをしたいのか?、どんなボールを投げたいのか?全部含めて、私の気持ちで決めればいいのだなと思うようになりました。
さらに言えば、自分が疲れている時なのか元気な時なのかによって、誰とキャッチボールをしたいか、または今日はお休みしたいかは変わってくるのだと思います。
相手の出方が、自分には合わないのだと感じたら、もうその遊びはやめていいのだということも含めて、自分に決める権利があるのだなと思う今日この頃です。
あなたの笑顔が嫌いな人
熟年離婚して、親とも距離をとってみて、初めて気づいたことがたくさんありました。
安心して、毎日否定されない時間を過ごせるようになって、「あ、今まで苦しかったのだな」と分かるようになったからです。
離婚して、乳がんになって、何も肩書きもなく体裁の悪い私に、治療中優しい言葉をかけ続けてくれた友人たちがいたことで、はっきりと自覚できるようになりました。
「あなたがHappyなら、私もHappyだよ!」と言ってくれた友人は、私からもらえるメリットなど何もないのに、私を気遣ってくれました。
それはまさしく、どんなにいい通知表を持ち帰っても「おごるな!」という親やどんな料理を作っても「つけあがるから褒めない」と言った元夫とは対極にあるものでした。
元夫には「じゃあ、美味しかったか美味しくなかったかはどうやったら分かるの?」と聞いたことがありましたが、「全部食べたらおいしかったということだ。」と言っていましたが、大体、完食しなかったことなどあったかな?と思います。
要するに、私を認めたら自分が負けた気がするから褒める(認める)ようなことはしなかったのだなと理解できるようになりました。
そもそも、自己肯定感が低い、自信のなさを私が下なのだと思うことでなんとか自分を保っていた人たちだったのだなとようやく腑に落ちるようになりました。
私にとって、理解の肝の「マウント(相手を下げる)をとると自分が上がったような気がする」心理がどうしても理解できなかったので、正しい判断が遅れました。
いまだに、自分の絶対値が上がっていないのに、なぜ上がったと思うのかはわからないのですが、そういう人が少なからず世の中に存在するということが理解できるようになりました。
そういう人はテストが60点でも、まだ15点の人がいるから自分は安心だと思う心理なのかもしれません。
正しく相手の心理が理解できていなかった私は、私が努力したら状況が変わるのではないか?と思ってしまいました。
親や元夫からしたら、60点の人が15点しか取れない人を見て安心したいのに、100点を目指すなんてとんでもない!ということだったのでした。
自分の実力が上がれば状況は改善すると思ったわけですが、親や元夫にとっての私はますます脅威になっていったのだな・・と今ならわかりますが、当時は全力で私に厳しく当たってくる親と元夫を養成していたのかな?と思います。
私に「ここもダメ。そこもダメ。」と言って、私をしょんぼりさせて優越感を感じたいのに、私は猛然と「ここもそこも克服してやる!」と頑張るのですから、ただの言いがかりをつけていくよりもう方法がなかったのだろうなと思います。
自分の絶対値を上げる努力をしたくなくてマウントをとっているのに、相手は実力をつけようと努力している!これが脅威でなくて何でしょうか!!
私はもっともっとゆる〜く、何もせずに、しくしく泣いていたら親も元夫も満足だったのでしょうか?
結局、元夫はどうやってケチをつけるか?という努力を放棄し、離婚を言い出しましたし、母も私が熟年離婚したから世間体が悪いと言い出しました。
両者とも、もう私に関わるのが苦しかったのだなと思います。
一方、私はこれら両者に認めてもらう努力としては無駄でありましたが、自分の絶対値を上げることにつながる努力をすることができました。
当時、渦中にいる時はとても苦しかったのですが、結果的に自分にとって得るものが多かった努力だったとわかりました。
そして、私が笑って安心して生きていることを喜んでくれる人、一緒に笑ってくれる人だけが私の周りに残りました。
あなたが心から笑っていると思わず頬が緩む人が、あなたの本当の味方なのだと思います。
「ありがとう」「ごめんね」の総量を比較する
信頼できる人かどうかを見極める時、「ありがとう」「ごめんね」が言えるかどうかというのを見なさいと言われます。
たとえ些細なことでも、この言葉が言える関係かどうかで、大体わかると思います。
考えてみると、両親からこの言葉を聞いた記憶がありません。
そんなこと言うと、「そんなはずはない!」と猛然と抗議してくるだろうと想像までできます。
「ありがとう」と言うだろうタイミング(誕生日や、父の日母の日のプレゼントを渡した時など)であっても「ありがとう」とは言わずに、プレゼントの品が無事についたとか、中身が気に入ったとかの話になり、「ありがとう、嬉しかった。」という一番聞きたかった言葉を聞いた記憶がないのです。
人間の記憶はかなり曖昧なので、もう本当のところは誰にも分かりませんが、何かいつも心が満たされないものを感じていた記憶だけがあります。
そもそも、プレゼントとかイベントごとなどの大層なことではなく、もっと日常的に、何かを手伝ってもらったり、気遣ってもらったりした時に、本当に嬉しかったらつい口をついて出てしまうものではないかと思います。
また、「ごめんね」も、ちょっと勘違いして間違ったことを伝えてしまったとか、そんなつもりではなかったけど負担をかけてしまったとか、ほんの些細なことでも自分のミスを認め合える関係は嘘のない信頼関係が築ける相手なのだと思います。
これは、謝る必要のないタイミングで「ごめんね」と言う必要は全くありませんし、それはかえって関係を歪めてしまうはずです。
元夫は20数年関わってきた間に、「ありがとう」は片手で余るくらい聞いたかな?
「ごめんね」は聞いた記憶がありません。
私の両親も元夫も今、政治家の間で流行っている、謝ったら死んでしまう病にかかっていたのかも知れません。
では私自身がそれをうまくできていたかと言われると、自信はありません。
でも、人間関係を築く中で、お互いの「ありがとう」「ごめんね」が言えた量が大体同じなら、いい関係が築けているのかなと思います。
今、私の周りにいる友人たちは1回のラインのやり取りの中でも、お互いの「ありがとう」「ごめんね」が双方大体釣り合っているのを感じます。
そうすると、その人と関わったときに何かモヤモヤする変な引っ掛かりがほとんど残らなくて、関わって疲れることはないのです。
「ありがとう」「ごめんね」の総量が極端に偏っている場合は、支配されていたり、利用されている上下関係が成立してしまっているのだと思います。
そうなってしまったら、もしできそうなら多少の改善の努力をして、それでもモヤモヤが消えないなら、その関係からそっと離れることをお勧めします。
なぜなら、そんなアンバランスな関係を断捨離したら、悩みや苦しみがほとんど消えた私がいるからです。
パブロフの犬
子供の頃、理科の教科書に条件反射の例としてロシアの科学者の実験がありました。
ベルを鳴らしてから犬に肉をあげることを繰り返していると、ベルを鳴らしただけで犬は涎を垂らすというものでした。
その他、梅干しを見ただけで唾液が出るという例もありました。
私が長い時間をかけて家族と関わっている中で、これと同じような条件反射の反応が出ていたなぁ〜と思いあたることがたくさんありました。
熟年離婚した元夫や子供たちに作った料理に文句を言われていると、料理を作ろうと思うだけて苦痛でした。
子供の頃からいつも否定されていた実家にはもう何十年も前から行くのが苦しかった。
窓から見える風景で、苦しかった子供の頃の気持ちを思い出してしまうから。
親に会うと、自分は生きていて良いと思えなくなる。
本当に私が苦しんでいる時、傷口に塩を塗りこむ母と、見て見ぬ振りをして距離を取る父を経験したから。
自分も子育て中に子供を傷つけてきたことはあったのかもしれません。
自分が完璧だったとも思っていません。
でも、私の能力でできることは、自分なりに努力したつもりですし、親もそういう気持ちであったのかもしれません。
そうであっても、自分が傷つく経験を繰り返しするのであれば、そうならない環境に身を置いて生きることも私には許されるのではないかと思うようになりました。
もう、私のできる範囲の努力はやってみた結果からそう思っても良いのではないか?と自分に許可を出せるようになったのかもしれません。
社会通念や他者の気持ちからしたら、それは人としておかしいと思われるかもしれませんが、これ以上、自分を殺して生きようとすると、もう身体が動かずストップがかかるので仕方がありません。
今までは、家族という他者の気の済むように、自分を殺して生きてきた数十年ですが、最終的には、私が自分を生きる道を選択する権利を行使しようと思えるようになりました。
本当の自分に気づくためのレッスン
物心ついてから、親といると自分の気持ちを感じていいと思える機会がありませんでした。
自分の気持ちを殺して親が気が済むような人間になることが、私が生まれてきた意味であり、生きる目標なのだと思っていました。
なぜそう思ったのか?
親に私を好きになって欲しかった。
いい子にしていなくても、愛して欲しかった。
それだけ、親を好きだったからなのかもしれません。
育ててもらっている恩がある以上、そんなわがままは許されないのだと親の様子を見ていると、そう思い込んで生きていました。
でも、どんなに頭で思っていても心はとても苦しくて、その苦しさを乗り越えることが成長することなのだと思い込んでいました。
親の言動からそういう理解に行き着いたのだと思います。
親を簡単に嫌いになることができたら、これほど苦しまなかったのだろうと思います。
親子の人間関係とは、他の人間関係に対する期待の質も深さも別格なので、簡単に割り切れない苦しさがあるのかなと感じます。
どんなに親の気にいるように努力しても、親の思うような年齢で結婚していなければ「今まで生きていて無駄だった。」と言われ、出産してあまり母乳が出なければ「私は働いていたから母乳が出なかったけれど、お前は専業主婦なんだから母乳を出せ」と言われても、努力だけではどうしようもない体質(と当時の助産婦さんに言われました。)で何ともならなくなりました。
どんなにダメだと言われても、生きていて無駄だと言われても、生きることをやめることも、親の要求を満たすことも、私にできないことは、努力してもどうしてもできなかったのです。
それでも、親の要求はその時々で変化して、時には以前に言っていた逆のことを要求してくることもあり、私の親孝行はいつもどちらに向かっていったらいいのか迷子になっていました。
それなのに、普通に考えれば、親との関係で苦しいのに、なぜ、同じように支配してくる元夫と結婚してしまったのか?という不思議なことをしてしまいました。
その時点では、本当の原因がまだよくわかっていなかったのだと思います。
人(親)の目を気にして自分を曲げて生きている人間は、支配したい人間の嗅覚を刺激するのではないかと思います。
「こいつはいいサンドバックになりそうだ。」と目をつけられたら、逃げにくい環境(結婚や出産)に囲い込めば、あとは威張り散らして生きていけると思われただろうし、私自身も支配されたり否定されたりすることにあまりにも慣れすぎていて、それを受け入れていたのだと思います。
ただ苦しいだけの元夫と結婚してしまったことの自責の念は凄まじいものがありましたが、親との関係を考え直す前段階として、元夫との関係から自分はどう生きたいのかを真剣に考えろという練習だったのではないかなと思うようになりました。
きっと、親との関係を自分を誤魔化しながら続けていた私にとって、元夫は必要な相手であったのではないか?そんな風に考えることもできるようになりました。
元夫の言動に傷ついたり、悲しんだりする時期を過ぎ、もう、こんな奴の思うように振る舞う必要などないのだと呆れるという経過を辿った時、初めて親との関係も同じではないか!と気づいたのだと思います。
きっと、変な粘り強さや耐久性があった私にとって、大切なことに気づく為にふさわしくて必要な相手が与えられたのだと。
今は、元夫と関わらないことを感謝して心穏やかに暮らせるようになり、1日1日が本当に幸せに満たされるようになりました。
親に対しても元夫に対するような気持ちになる時が来たら、完全に癒されたことになるのかな・・と思いながら、親のことを考えても罪悪感で苦しくならない日々をありがたいと思って過ごせるようになりました。
全てのこと、特に苦しいことは「そこがあなたの問題だから、向き合いなさい」ということなのかもしれないな・・と思えるようになりました。
今はもう「苦しいことが発生する相手とは関わらなくて良い」と苦痛なく思えるので、その時の自分の状況次第で向き合うのがいいとか悪いとかいうことではないようにも思います。
紆余曲折あって、私もようやく間違えたり、苦しんだりしたのも全部自分なのだなと受け入れられたのだと思います。
親や配偶者に受け入れられないから苦しいのだと思っていましたが、失敗したり、のたうち回ったりした自分を自分が受け入れられなかったから苦しかったのかもしれません。
親に受け入れられなくても、配偶者に受け入れられなくても、私が生きていてはいけないという意味ではないと、頭ではなく心で納得できるようになりました。
彼らはそうやって、私の心を揺らすと自分が影響力のある人間なのだと偉くなったように感じる一瞬の優越感のために、私を利用していただけなのです。
元夫も親も、自分を磨いてくれる良い機会をくれたのだと思えるようになったことが、ようやく心が落ち着いて自分を生きているということなのだなと思っています。