「子供のために離婚しない」のは正解なのか?

「子供がいたから、離婚する決心がつかなかった。」はよく聞く話です。実際、私もそうでした。

経済的にも子育てする上でも不安が残り、子供が小さい時期に離婚に踏み切ることはできませんでした。

当時は、子供のためには離婚しない方がいいと思い込んでいたせいでもあります。

 

 では、本当にそうだったのでしょうか。どちらを選択したとしても、メリット・デメリットはあったと思いますが、肝心なことを見落としていたことに気づきました。

父親が母親を見下し、家で不機嫌そうにして、母親はただ従って暗い顔をしている家庭というのは、子供にとっては安心できる場ではなかったのです。

精神的なD Vでも子供の前で見せることで、面前D Vとなるそうです。

関係が悪い両親を見て暮らすのは苦しかったのではないかと思います。

当時は理由がわからなかったけれど、気がかりな問題行動もありました。

ただ言いなりで従う母親を見て、腹立たしかったのか、私にイライラをぶつけてくることもありました。小さい頃には、私の味方をしてくれた子供たちも、成長するにつれ私を見下すようになっていきました。

 

 子供のためと思って、離婚を先延ばしにしてきたのですが、結局「尊厳を傷つけられても、お金の為には我慢して従うべし」という教育をしたことになってしまいました。

私が見失っていたものは、『自分が心から笑えるような幸せな気持ちで生きる』ためにどうしたら良いかということでした。

家族の誰かが、尊厳を傷つけられたり、気持ちを殺して我慢したりしている家庭にいて、子供が幸せに成長はできないことに気づかなかったのです。

 

 それを辿っていくと、そもそも自分は本当に結婚したかったのか?

更に辿ると、適当な年齢で結婚して子供を2人ぐらい産むという世間体をクリアして親の希望を満たすために生きてきただけだったのではないか?にたどり着きました。

 

 自分の気持ちと親の希望が重なることはあると思います。

しかし、親の気持ちや学校で教えられること、世間体などで何重にも包み込まれて自分の気持ちを押し殺しているうちに自分がわからなくなってしまった状態から、本当の気持ちを掘り出して表現していくことが、幸せになる原点なのではないかと思うようになりました。

 

幸せではないのに、元夫との関係を改善するためにコミュニケーションを取ろうともせず、また、関係を改善する気がないのに離婚しようともせずに20年以上もの年月を過ごしてどういうつもりだったのか?

情けない母親に対しての怒りを、子供たちが感じていたのかもしれないと思いました。

それでも、ただ言いなりだった母親が、離婚して幸せになった姿を見て何かを感じてくれることを願います。これから、子供たちが築いていく人間関係に悪い影響を与えないことを祈るばかりです。