親の呪縛

 なぜ親の呪縛から逃れられるまでに50歳過ぎまでかかったのかをずっと考えてきました。

私の気持ちはとても楽にはなりましたが、完全に解放はされていないかもしれません。

もはや、これはカルト宗教と同じく洗脳なのではないかとも思います。

 

 自分の視野の狭さ、自己肯定感の低さから「親がいないと生きていけない」と思い込んでいました。

とにかく親に気に入られるようにいい子を演じるしかないと強迫観念に支配されていました。

それが私にとっての家族だったし、無条件で愛される子供がいるなんて、思いもつかなかったのです。

実際には、身体的暴力を受けたわけでもなく、食事を与えられなかったわけでもありません。

むしろ、経済的にも安定して、手作りの食事にこだわり、教育熱心な親でした。親なりのやり方で一生懸命、大事に私を育てたのだと思います。

悪気がないと言うのも、罪深いことです。改善されないからです。

先生や周りの大人が、私の様子に気づいてくれたらもっと早く救われたかもしれませんが、学校では元気に優等生で過ごしていれば、問題がないように見られたのかもしれません。

 

 「こんなにしてやったのに(お前は恵まれている)」「あなたのため」「親子なら分かり合える(私の気持ちを汲んでね)」という言葉も、私を苦しめました。

思春期になれば、「うるさいな〜」と言って聞き流すこともできる子もいるのに、親になんて言われるか、なんて思われるかといつも家ではビクビクして過ごしました。

それが辛いとか理不尽だとか考えることもなく、物心ついた時からの日常でした。親戚の家に居候してる子供の心境に近かったかもしれません。

 

 今に至るまで、(親の思う通りの)良い子でなかったとしても、私の気持ちに共感してくれるのではないか?という期待が捨てられなかったのです。親を嫌いになりきれなかったとも言えます。

また、私の気持ちを何度も根気よく伝えてこなかったせいでもあると思います。

少し言いかけてから、「あ、母は面白くないんだな。」と感じてしまうと言うのを諦めてしまったのです。子供の時に試みていたら、もっと早くに親と分かり合えるなり、訣別するなりの結果が出たのかもしれません。

 

 親しか頼る人がいないと思い詰めていたから、「嫌われたらどうしよう!」になり、どんどん離れられなくなり、言いなりになって行く・・でも気持ちを押し殺している(とすら感じていない)なんとも言えない苦しさだけが自分の中に溜まっていく・・・

これは、結婚後その相手が夫になって行くのは必然だったのかもしれません。

 

 視野が狭くなっていると、このやり方で上手くいかなかったら、他の方法がある。この人と上手くいかなかったら、他の人がいる。と言う思考ができなくなっていきます。

 自分の気持ちを分からなくして、自分以外の他者の評価が全てになっていたから、苦しくなる一方だった・・と言うカラクリだったのです。

自分の気持ちがわからなくなるから、新しい道を選択する根拠が曖昧になるし、そもそも決断ができなくなるんですね。

 

何を決断しても、失敗をすることはありますが、根拠が自分の意志でない場合は失敗から学ぶことも難しくなり、不満ばかりが残ります。あ〜私はこれで苦しかったんだ!と長い長い時間をかけた末に気づいた今日この頃です。