結婚する時と離婚する時

 私の感覚的なものですが、結婚する時は「いいかなと思った」とかいう割と曖昧なノリが多くて、離婚する時は理由はどうあれ「どうしても離婚しなくては、もう耐えられない」という、切羽詰まった状態になっているような気がします。

 

世間体から見た親の意向などを考えると、結婚は肯定的に捉えられるけれど、離婚は否定的に受け止められることになりますね。子供が小さいときにはなおさら離婚を思いとどまるような圧がかかりやすくなります。

自分のことを振り返ると、シングルマザーでも経済的にも子育ての精神的・人的なサポートが充実していたとしたら、「私さえ我慢すれば結婚が継続できる」なんていう思考にならなかっただろうと思います。

 母親が見下されたり、睨まれたりしている姿を見ることで、子供は本当に苦しかったはずなのに、子供の心に深い傷をつけてしまったことに気づかなかったのは、悔いが残ります。母親が幸せではない=子供も幸せではないのですから。

 

多くの人が、夫が不機嫌くらいはよくあること、殴られたところでそれほど驚かないという感覚を持っています。家に帰ると配偶者に嫌そうな顔をするって、道ですれ違う人との関係より悪いですよね。

横断歩道で止まってくれたドライバーがニコッとしてくれると、それだけで久しぶりにとても幸せな気持ちで1日過ごせるような生活でした。

見下される、都合の悪いことは私のせいになる、話しかける前から不機嫌になるという態度を夫にされると、一つ一つのことで決定的なダメージまで行かなくても、それを見て見ぬふりをしながら生活している自分の心が、知らないうちにすり減り続けていきました。

 

 子供たちも、元夫と同じように私を見下したり、蔑ろにするようになりました。

父親に逆らうのは難しいと諦めたのかもしれません。

それでも、子供が中高生くらいまでは、食事など家事全般のサポートはしてあげなければと、義務感でやってきました。

でも、もはや成人したのであれば、子供であろうが、私を大事に思わない人間と関わらなくてもいいかなと気持ちが振り切れました。

親だろうが、夫だろうが、子供だろうが、私の尊厳を傷つける人間、私を好きじゃない人間と努力して付き合うことはないと思い切れるようになりました。

今後、子供たちとは機会があればコミュニケーションを取ることで改善していきたいという希望は持ってはいますが。

 

実際に離婚届を提出後に感じた開放感と、同時に緊張が解けた後に3ヶ月以上1日中寝込むという、人生初めての経験を通じて、自分が思っていた以上に深く傷ついていたことを実感しました。

今まで気持ちだけで持ち応えていたんだなと。

茹でガエルと言いますが、熱湯に近くなっても自分から這い出ようとしていなかったのかもしれません。

命があっただけでも儲け物な状態まで落ちていたことがわかりました。

 

それからというもの、ただ、料理をしたり、音楽を聞いたり、道を歩いたりしているだけで、「世界ってこんなに素敵なんだ!!」と叫びたくなるような、そんな毎日を過ごしています。