気持ちを吐き出さない代償
悲しみが限界を越えると、怒りになると言います。限界を超えた時に、家庭内暴力や自傷に繋がっていくこともあるはずです。
悲しいとか、寂しい、苦しいという感情を感じた時に(それが小さい時に)、安心できる相手に吐き出すことができたら、なんということもなく気持ちが晴れるのでしょう。
その相手は、自分のことをただ好きでいてくれる人でなくてはダメなのです。
それが親であって欲しかったですが、祖父母や友達、先生、近所の大人などであったとしても、ずいぶん救われたはずと思います。
私は、親が私のことを無条件に愛してくれると思えませんでした。
親が望むように振る舞っているから、家に置いてもらえてると感じていました。
悲しかったり、嫌だった気持ちを漏らしたら、「そんなことで負けてはダメ。こうあるべき」という「指導」されることが明白だったので、悲しみが2倍になることをしたくなかったのです。
ただ、「悲しかったんだね」と共感して抱きしめて欲しかっただけなのですが、私にとっては手に入らない贅沢品のようなものでした。
親の理想でない自分は、存在が許されないのでは?という恐怖感がつきまといました。
親から見たら都合が悪く見える自分をなるべく隠して、自分の気持ちを押し殺していきました。
そうしているうちに、マイナスの感情を吐き出せない苦しさをだんだん苦しいと感じなくなっていきました。
傷があるのに、神経が感じなくなっていくのです。そうやって自分の気持ちを誤魔化すのが日常になりました。
小さな悲しみが心の中にどんどん溜まっていきました。でも、自分ではそんな意識はありません。
心が不感症になっていくのです。
ただ、強くなっていくと思っていたのですが、その塊は大きくなって耐えきれなくなるまでずっと残り続けるのです。
もしかしたら、一生悲しみの塊が爆発しないかもしれません。うまく思春期に親にぶつけられるかもしれません。私のように、子育てが終わってから、耐えられなくなる場合もあります。
それを癒してくれるのは、利害関係がなくても、ただ自分を好きでいてくれる人、あなたがいてくれると何か楽しいよと思ってくれる人なのではないかなと。
もし、今はそういう人がいなかったとしても、自分を大事にしてくれない人から離れるだけでも救われていきます。