自分の中にある答え

 元夫は、「〜に決まっているだろ」「〜なのが当たり前だろ」と良く言っていました。初めのうちは、「この人は、これについて詳しいのかな?」と無邪気に思い、半信半疑でも、そのまま聞き流していました。

ある時、家で使う道具の表裏について、元夫が「こっちが表に決まっているだろ!」と譲りませんでした。その時ばかりは、どう考えても違うように思えたので、メーカーに問い合わせたら、元夫が間違えていることがわかりました。「〜に決まっている」という言葉には、何の根拠もないんだなとその時にはっきりわかりました。

自分は何でも分かっている、言う通りにしろと言いたいだけだったんでしょう。自分が上なんだとアピールできる相手がいないと、自分自身が支えられない気の毒な人なんだなと思っていました。

そういう、一見どうでも良さそうなことが積み重なっていくうちに、意見が異なることがあると、「頭がおかしい」「精神病だから病院へ行け」「カルト宗教」と言うようになりました。元夫に何を言われても、何も感じないように、元夫に対して何の感情を持たないように気をつけて自分を守っているつもりでしたが、完全に方法が間違っていました。

あれ?と言う違和感は、結婚当初からあったはずなのに。

問題意識をしっかり持ち、解決する為の行動をする、解決できなかった時には離婚する決意をするという思考ができなかった私に問題があったことに気づきました。

世の中は善人ばかりではないし、自分を傷つけてくる人がいたら、戦う覚悟がなければ、エネルギーを搾取されてしまう、ということに考えが至らず、ボーっと何十年も過ごしてしまいました。

世間体や親の望む状況を作り出すことばかり気にして、それに向かって我慢という努力をし続けてしまいました。

生まれてからずっと、自分の心は何重にも包み込んで封印してきたので、悲しい、傷ついた気持ちに気づかずに、無視し続けてしまいました。

相手が何を言っても、何を考えても、私が変えることはできません。

私は元夫のモラハラ被害者だと思ったところで、何も解決しません。その考え方が客観的に正しいのかどうかもわかりません。

「私は何が嫌で、自分はどうしたいのか」を考えさえすれば、対峙する、離婚するなどの解決策がもっとずっと早い時期に見えたはずです。いつまでも自分の尊厳を傷つけられ続け、その姿を子供達に見せ続けてしまったのは大きな間違いでした。

最初の人間関係のモデルである両親の関係が、主従関係で、それと戦う姿を見せてあげられなかったことは、申し訳なく思っています。

原因は、私の判断基準が世間体や親の希望する姿であったせいで、答えは自分の中になることに気付けば良かっただけのことでした。