反撃を辞さない覚悟

熟年離婚するまでの 結婚後10年くらいまでは、モラハラ夫が見下してきたり、バカにするようなことを言っても、私が何か悪いことしたのかな?、たまたま機嫌が悪いのかな?と思うと同時に、心の中では、器の小さい奴だな、自信がないから私に当たっているんだなとも思って、期待せずに日常をやり過ごそうとしていました。

 

 その後は、攻撃的な人間の対処方法を本などで読み始めました。

他人を攻撃してくる人は、不安や脅威を感じると相手を攻撃してくると書いてあって、それもなんとなく感じていたことと同じでした。こうされたら、こう対処しましょう的なことは大体わかったのですが、だからと言って相手が変わるわけではありません。結局、受け身の対応でしかないのです。

 

何かスッキリしないままずっと過ごしてしまいました。でも、その間自分は嫌なことをされる状況を仕方ないと思い、その状況でいかにダメージを少なくしてやり過ごすか?という視点でしか見ることができなかったのです。

そもそも、見下されて、自分の尊厳を傷つけられているのに、それを受け入れようとしていたのです。

 

元を辿っていくと、子供の頃の親との関係に行き着くのです。「私はこんな扱いを受けるのは嫌!悲しい」と言えなかった自分が、ずっと本当の気持ちを隠したまま大人になって、我慢してただ従う人間になっていました。

そして「我慢すべき」という言葉が頭の中でぐるぐるして、自分が嫌な気持ちになっていることにさえ気づかなくなっていたのです。

 

本の中に「他人軸でなく。自分軸で考えましょう。」とあるのを目で見ているのに、どういうことなのかわかっていませんでした。

自分軸で考えるためには、自分の気持ちがわからないと判断不能です。

世間体、親の意向、周囲の人の評価が先に浮かんでしまうと自分の気持ちがわからなくなります。他者の評価に縛られて生きていることすら気づかなくなります。自分の気持ちが“ある”のかすらわからない状態になっていました。

 

 親とも距離を置き、モラハラ夫とも離婚して自由になって、安全な環境に身を置いて1年以上経ってようやく、心の奥底に閉じ込められていた自分の気持ちを少しづつ感じることができるようになっていきました。

もっと早く適切な方法をとっていれば、これだけ無駄な時間を費やすことはなかったのかもしれないと思うと、若い時間を捨ててしまった後悔は深いです。

 

 結局、攻撃してくる人に対して、ずっと受け身で許していても、関係は改善しないことがわかりました。攻撃は最大の防御というのは本当ですね。もう攻撃してくるな!許さない。と言わない限り、攻撃が止むことはないのです。

ですから、「離婚は体裁が悪いからできない。」と決めている人にはできません。

「自分が蔑ろにされるなら、結婚している意味がない」と思っていない限り、健全な結婚生活、パートナーシップを形成することなどできなかったのです。

 

その決断をするために、自分は何が嫌なのかという気持ちを自分で感じることがまず一番大切だったのです。

自分の人生にとって、自分が納得できるかどうかが判断基準になるのですから。