自分の気持ちを感じられますか?

 物心ついてから、悲しい、寂しい、腹立たしいという負の感情を言葉にした記憶がありません。そういうマイナス(良くない)感情は、感じたとしても表現したらいけないもののように思ってました。

嬉しい、楽しいというプラスの感情は親が喜ぶから表現していいものだと思って言葉にしていましたが、もし、マイナスの感情を表現したら、「でも、頑張りなさい」「我慢しなさい」と言われることが予想できたからです。

そうやって、死ぬまで、負の感情を表現しないまま生きるのかと漠然と思っていましたが、自分の気持ちを押し込めていること耐えきれなくなって、とにかく苦しくなっていきました。その原因が感情を押し殺していることであることも、良くわかりませんでした。

 

親や元夫にどう思われるか、世間体がいいか悪いか、それが判断や行動の基準になるだけになっていきました。

元夫に見下されたり、無視されてりしても、顔色を窺って、ビクビクしながら従ってしまいました。そういう扱いを受けて、不本意で苦しいのに、やめてくれとも言えず、かといって離婚する決断もできないで20年以上を無駄にしてしまいました。完全に舐められる人間になっていました。大切にされたいのに・・

相談した友人には、「そこまで嫌なのにもっと早く離婚を選択しようとしなかったのは、決められないんだね。」と言われましたが、今思えば、決められないのではなく、判断の基準になる『自分の気持ち』に蓋をして、わからなくなっていたからです。

 

他者の評価ばかりを気にして、そのためにどうしたらいいかという思考しかなかったのです。自分では頑張っているつもりでも、自分の希望ではないことを頑張っているから、方向転換することも、うまくいかないならやめようという発想が浮かばないのです。

 

他人軸ではなく、自分軸で生きましょう。という言葉は知っていても、実際にどう変えていけばいいかが全くわかっていませんでした。

本を読んだりして、いろんな言葉を知っていたはずなのに、腑に落ちなかった時期はあまり苦しさはなくならず、改善しませんでした。

 

様々な状況が変わり、塞いでいた自分の気持ちを感じ、その気持ちに沿って判断する(生きる)ことが少しずつできるようになると、幸福感と自己肯定感が自分の中から湧き出ていくのを感じられるようになりました。

これって、良く言われる、「幸福は自分が感じるもの」であるという言葉の意味なんだなとやっと体感できるようになりました。

「自分の気持ちを感じましょう」って、なんだか冗談のような話ですが、自分の気持ちに無関心になることで、自分を守らざるを得なかった環境や自分の性質があり、それに気づけたことで、やっと自分の人生を生き始めることができたのです。