おすすめの動画
今は、S N Sで本当に多くの人から毒親やモラハラ等々についての情報を得ることができて、ありがたいなと思っています。
自分の気持ちを殺して、自責の念に苛まれながら生きてきたことが、苦しみの元凶だったことがやっとわかるようになりました。
自分の気持ちを親に言ってはならない。そこに縛られていたことが異常だと全く気付かない環境であったことがおかしかったんですね。その中にいると、本当にわからないのです。
そんな中、私が腑に落ちる解説をしてくれた方々のおすすめ動画をごく一部ですが、ご紹介します。
1万件のテレフォン相談 加藤諦三 さん
毒親カウンセラー 髙橋りえ さん
ナルシストについて 中村りん さん
いろいろな動画を出されています。
とても参考になりました。
今、苦しんでいる方のご参考になるかと思います。
自分の今の状況を認識できると、楽に生きていく道が見え始めるのです。
近況
気づけば、ブロブも7ヶ月も間を空けてしまいました。
気持ちに区切りがついてから、1日1日の変化はほんの少しなので、時間に任せた治癒期間だったのかもしれません。
かさぶたが剥がれ落ちるまでに、それなりの時がかかるように、少しずつですが確実に自分を取り戻していきました。気持ちが行きつ戻りつしながら・・
自分の負の感情を出せなかったので、言いっぱなし聞きっぱなしができる自助グループに行って、吐き出す練習もしてみました。
その結果がどうあれ、自分の感情を出さないで我慢し続けること自体が、心身ともに病気の元であると実感します。表面上それで上手くいっているように見えたとしても・・です。
いつか形を変えて、押し込めれば押し込めるほど歪に膨らんで後々“必ず”爆発します。
その歪さの源が消えてなくなることはありません。
ただ、見ないふりをしている自分がいるだけです。
“必ず”!!・・それは、自分を攻撃し始めます。
初めての幸福感
知らず知らずのうちに、親の考えに沿うことや世間体を良くすることが自分の希望であるかのように思っていました。そうすることが自分のためになるのだと。
ずっと自分の気持ちを出さずにいることを嫌だと感じている、違和感を感じていることに鈍感になります。というよりも、鈍感に振る舞っているのかもしれません。我慢することが正しいことのように考えるようになります。
そうすると、自分の気持ちがわからなくなるから、何がしたいのかがわからなくなり、どう判断していいのかわからなくなります。
判断の基準が自分にないから、何をしても他人の評価が気になり、不安になります。
どんなに自己肯定感を上げなくちゃと思っても、親の気にいるように、世間に評価されるように生きていること自体、自己肯定できていない(自己否定している)ことになるのです。自分の気持ちを掘り起こして、「あ〜親と連絡を取るのも会うのも嫌だな。」「見下してくる夫に関わるのは嫌だな。」と思っている自分に気づいて、相手と距離をとったり縁を切ったりしてみました。50年以上かけて、生まれて初めて本当に幸福だなと思うことができるようになりました。私の気持ちに正直に生きることが幸せなんだということがわかったのです。
今まで幸せだと感じていたことはなんだったのか。私はあの人より恵まれているから、何かを多く持っているから・・等、人と比べてマシなところをありがたく思わなくては・・という気持ちを幸せだと思っていたのです。
それでも幸福だと思うことに違和感を感じていてのは、誰かのせいではなく、自分の心と向き合って、自分の望む生き方をしてこなかったせいだったことがようやくわかりました。
自分の気持ちを感じられますか?
物心ついてから、悲しい、寂しい、腹立たしいという負の感情を言葉にした記憶がありません。そういうマイナス(良くない)感情は、感じたとしても表現したらいけないもののように思ってました。
嬉しい、楽しいというプラスの感情は親が喜ぶから表現していいものだと思って言葉にしていましたが、もし、マイナスの感情を表現したら、「でも、頑張りなさい」「我慢しなさい」と言われることが予想できたからです。
そうやって、死ぬまで、負の感情を表現しないまま生きるのかと漠然と思っていましたが、自分の気持ちを押し込めていること耐えきれなくなって、とにかく苦しくなっていきました。その原因が感情を押し殺していることであることも、良くわかりませんでした。
親や元夫にどう思われるか、世間体がいいか悪いか、それが判断や行動の基準になるだけになっていきました。
元夫に見下されたり、無視されてりしても、顔色を窺って、ビクビクしながら従ってしまいました。そういう扱いを受けて、不本意で苦しいのに、やめてくれとも言えず、かといって離婚する決断もできないで20年以上を無駄にしてしまいました。完全に舐められる人間になっていました。大切にされたいのに・・
相談した友人には、「そこまで嫌なのにもっと早く離婚を選択しようとしなかったのは、決められないんだね。」と言われましたが、今思えば、決められないのではなく、判断の基準になる『自分の気持ち』に蓋をして、わからなくなっていたからです。
他者の評価ばかりを気にして、そのためにどうしたらいいかという思考しかなかったのです。自分では頑張っているつもりでも、自分の希望ではないことを頑張っているから、方向転換することも、うまくいかないならやめようという発想が浮かばないのです。
他人軸ではなく、自分軸で生きましょう。という言葉は知っていても、実際にどう変えていけばいいかが全くわかっていませんでした。
本を読んだりして、いろんな言葉を知っていたはずなのに、腑に落ちなかった時期はあまり苦しさはなくならず、改善しませんでした。
様々な状況が変わり、塞いでいた自分の気持ちを感じ、その気持ちに沿って判断する(生きる)ことが少しずつできるようになると、幸福感と自己肯定感が自分の中から湧き出ていくのを感じられるようになりました。
これって、良く言われる、「幸福は自分が感じるもの」であるという言葉の意味なんだなとやっと体感できるようになりました。
「自分の気持ちを感じましょう」って、なんだか冗談のような話ですが、自分の気持ちに無関心になることで、自分を守らざるを得なかった環境や自分の性質があり、それに気づけたことで、やっと自分の人生を生き始めることができたのです。
反撃を辞さない覚悟
熟年離婚するまでの 結婚後10年くらいまでは、モラハラ夫が見下してきたり、バカにするようなことを言っても、私が何か悪いことしたのかな?、たまたま機嫌が悪いのかな?と思うと同時に、心の中では、器の小さい奴だな、自信がないから私に当たっているんだなとも思って、期待せずに日常をやり過ごそうとしていました。
その後は、攻撃的な人間の対処方法を本などで読み始めました。
他人を攻撃してくる人は、不安や脅威を感じると相手を攻撃してくると書いてあって、それもなんとなく感じていたことと同じでした。こうされたら、こう対処しましょう的なことは大体わかったのですが、だからと言って相手が変わるわけではありません。結局、受け身の対応でしかないのです。
何かスッキリしないままずっと過ごしてしまいました。でも、その間自分は嫌なことをされる状況を仕方ないと思い、その状況でいかにダメージを少なくしてやり過ごすか?という視点でしか見ることができなかったのです。
そもそも、見下されて、自分の尊厳を傷つけられているのに、それを受け入れようとしていたのです。
元を辿っていくと、子供の頃の親との関係に行き着くのです。「私はこんな扱いを受けるのは嫌!悲しい」と言えなかった自分が、ずっと本当の気持ちを隠したまま大人になって、我慢してただ従う人間になっていました。
そして「我慢すべき」という言葉が頭の中でぐるぐるして、自分が嫌な気持ちになっていることにさえ気づかなくなっていたのです。
本の中に「他人軸でなく。自分軸で考えましょう。」とあるのを目で見ているのに、どういうことなのかわかっていませんでした。
自分軸で考えるためには、自分の気持ちがわからないと判断不能です。
世間体、親の意向、周囲の人の評価が先に浮かんでしまうと自分の気持ちがわからなくなります。他者の評価に縛られて生きていることすら気づかなくなります。自分の気持ちが“ある”のかすらわからない状態になっていました。
親とも距離を置き、モラハラ夫とも離婚して自由になって、安全な環境に身を置いて1年以上経ってようやく、心の奥底に閉じ込められていた自分の気持ちを少しづつ感じることができるようになっていきました。
もっと早く適切な方法をとっていれば、これだけ無駄な時間を費やすことはなかったのかもしれないと思うと、若い時間を捨ててしまった後悔は深いです。
結局、攻撃してくる人に対して、ずっと受け身で許していても、関係は改善しないことがわかりました。攻撃は最大の防御というのは本当ですね。もう攻撃してくるな!許さない。と言わない限り、攻撃が止むことはないのです。
ですから、「離婚は体裁が悪いからできない。」と決めている人にはできません。
「自分が蔑ろにされるなら、結婚している意味がない」と思っていない限り、健全な結婚生活、パートナーシップを形成することなどできなかったのです。
その決断をするために、自分は何が嫌なのかという気持ちを自分で感じることがまず一番大切だったのです。
自分の人生にとって、自分が納得できるかどうかが判断基準になるのですから。
自分の中にある答え
元夫は、「〜に決まっているだろ」「〜なのが当たり前だろ」と良く言っていました。初めのうちは、「この人は、これについて詳しいのかな?」と無邪気に思い、半信半疑でも、そのまま聞き流していました。
ある時、家で使う道具の表裏について、元夫が「こっちが表に決まっているだろ!」と譲りませんでした。その時ばかりは、どう考えても違うように思えたので、メーカーに問い合わせたら、元夫が間違えていることがわかりました。「〜に決まっている」という言葉には、何の根拠もないんだなとその時にはっきりわかりました。
自分は何でも分かっている、言う通りにしろと言いたいだけだったんでしょう。自分が上なんだとアピールできる相手がいないと、自分自身が支えられない気の毒な人なんだなと思っていました。
そういう、一見どうでも良さそうなことが積み重なっていくうちに、意見が異なることがあると、「頭がおかしい」「精神病だから病院へ行け」「カルト宗教」と言うようになりました。元夫に何を言われても、何も感じないように、元夫に対して何の感情を持たないように気をつけて自分を守っているつもりでしたが、完全に方法が間違っていました。
あれ?と言う違和感は、結婚当初からあったはずなのに。
問題意識をしっかり持ち、解決する為の行動をする、解決できなかった時には離婚する決意をするという思考ができなかった私に問題があったことに気づきました。
世の中は善人ばかりではないし、自分を傷つけてくる人がいたら、戦う覚悟がなければ、エネルギーを搾取されてしまう、ということに考えが至らず、ボーっと何十年も過ごしてしまいました。
世間体や親の望む状況を作り出すことばかり気にして、それに向かって我慢という努力をし続けてしまいました。
生まれてからずっと、自分の心は何重にも包み込んで封印してきたので、悲しい、傷ついた気持ちに気づかずに、無視し続けてしまいました。
相手が何を言っても、何を考えても、私が変えることはできません。
私は元夫のモラハラ被害者だと思ったところで、何も解決しません。その考え方が客観的に正しいのかどうかもわかりません。
「私は何が嫌で、自分はどうしたいのか」を考えさえすれば、対峙する、離婚するなどの解決策がもっとずっと早い時期に見えたはずです。いつまでも自分の尊厳を傷つけられ続け、その姿を子供達に見せ続けてしまったのは大きな間違いでした。
最初の人間関係のモデルである両親の関係が、主従関係で、それと戦う姿を見せてあげられなかったことは、申し訳なく思っています。
原因は、私の判断基準が世間体や親の希望する姿であったせいで、答えは自分の中になることに気付けば良かっただけのことでした。
自分を大切にするチェック項目
付き合っている時、また結婚している時に、パートナーとの関係がどうなったら、改善しなければならない(改善できなければ離れなければならない)状態だと意識できていませんでした。反省を込めてそのチェックポイントを挙げてみます。
・夫が悪かった時に謝ることができるか。
・夫に都合の悪いことでも話し合いに応じてくれるか。
・夫婦で笑い合うことができるか。
・夫と居ると緊張するか・
・一緒にいて、楽しいな幸福だなと思うことがあるか。
・見下したり、バカにしたりするか。
これらがことごとく悪い方に該当していました。早くから、これらは重要ポイントだと意識すべきでした。
自分が大切にされない状態になった時に、それは嫌だ、やめてくれと言わない限り、改善はされません。黙っていても、夜が明けるような自然現象ではないからです。
不機嫌で無視される、見下される、一緒にいて緊張する、、毎日のことなので、自分でも無自覚になっていますが、実は思っている以上に傷ついています。
こんな態度を取られるのは、完全に舐められているのですから。自分が大切にされないことが続くなら、離れるためにどうしたらいいかをもっともっと早くから考えるべきでした。
心身共に病んでしまう前に行動することが大事だし、深く傷つくと離婚できても普通に動けるくらい立ち直るまでに長い時間が必要になってしまいます。
自分を大切にするためには、自ら戦っていく必要があったのです。